美しい肌が無価値だと思っていた頃の話

今は昔、私は小学生だった。

私の顔は、子供の持つ当たり前の美しい肌理細やかな肌をしていた。それは今の私にしてみれば何にも替え難く羨ましくてならないこと。

当時の私は、指や手の甲等を見て「私の肌は歳相応の美しさがない。皺っぽくて、張りがなくて‥」とコンプレックスを感じていたものだったが、顔の皮膚に関しては特別問題がなかったのだ。

誇れ小学生の私よ。そこに無限の価値を見出してくれ頼む。一年中隈が消えない不幸顔だからってそれがどうした。周りが皆小学生で、周りが皆肌理細やかな麗しき美肌の持主だからどうした。肌、綺麗だぞ‥誇ってくれ頼む‥。

 

要は何の話かと言うと、今は肌質がズタボロな今の私と、そんな事は露知らず肌を駄目にしようとした愚かな小学生私の話。

 

小学生私は、自らの肌が将来的に駄目になる事を知らない。どんな惨禍が訪れ、どんな風に生きていく事になるか、そんな未来の日々の事など知る由もないし、この肌が失われるだなんて事を思い付きもしない。私は私なんだから、ずっとこのまま居られるんだろうと当たり前に考えている。子供のまま大きくなって気付けば大人に、‥なるんだろうか、そんなの予想だに出来ない、と思っている。今の子供の私以外が存在する様になんかまるで思いもしない。

私はその時の私しか知らないし、それが悪い事な訳でもない。だけどそれは、今の私から振り返れば、矢張り無邪気故の罪であった。

 

今の私はと言えば、染みかそばかすかどちらかなんて知らないが、そんなものが沢山ある。特に頬骨の辺りなんて多い。

中学時代に驚きの脂性肌と面皰に見舞われ続け、高校でもそんな風だった。額は面皰や角栓を押し出した結果凹凸が酷く、所謂イチゴ鼻の持主となり、鼻の横、目の下一帯も毛穴の拡がりが随分目立つ肌になってしまった。

結果、元より造形も可哀想なので、すっぴんはとてもではないが人にお見せ出来ない。

ベースメイクを工夫して上手く誤魔化すことに必死で、それでも厚塗り出来なくて消えない染み。麗し肌ならベースメイクなんて何もしなくても済むくらいだろうに。

 

翻って小学生私。

ファンデとか化粧って「塗ってます」感、「何か作った感じにしました」感があって「変なの」と思っていた。

そうだなそうだよな。お前は何も塗らなくたって肌綺麗だもんな要らないよな。そんな事せんで良いからそう思えるんやで。あんたもその内、お化粧品の威力と必要性にしがみ付く肌になるんやで‥。

あと、自然な美人に仕上げられてたら化粧しててもお前気付かんやろ。そういうとこやぞ。

言ってしまえば世の大体の男が言う「化粧嫌い」「すっぴんが良い」とか何とかって愚言の類と同じである。ドすっぴんなのにお美しく可愛らしい奇跡の存在が好きだ何だっていう、要は我儘。なーにをほざいとんのじゃ。化粧品の効果も碌に知らん癖に言うなら張っ倒すぞ。

言うてどれが基礎化粧品でどれをどう使ってって知識は流石に一通り知っている。何なら使ってみた事も一度二度ある。女だしな。まぁ世の愚かな男達も(使った事あるかは別として)同じ様な手合なんだろうけど、何れにせよ普段からそれらを取り入れている立場ではない。要は知ったつもりで外野が口出す状態なのだ。ん〜〜〜!しんどい!

 

そうして何故か「真っ白な肌」に憧れられなかった私、「健康的な小麦色の肌」とか「赤毛のアンやキャンディキャンディみたいなそばかすのアクセント」が可愛いと思っていたのだ。

 

馬 鹿 じ ゃ ね え の か 。

 

馬鹿。紛う事なく馬鹿であり愚かであった。

なぁ〜〜にし腐ってんじゃワレ。

 

要は日焼け止めとか「要らなくない?」って思ってたし、平成もまだまだ初期、ミレニアム迎えて程ない頃のクソみたいなド田舎なもんだから、真黒に日焼けする様な子供はジジババから眩しそうに目を細められるような世界だったのだ。

普通に日傘とか差せよ〜〜!

夏の日差しと眩さを目一杯堪能出来る子供の健康的な生命力、羨ましいけど‥羨ましいけど‥!

そばかす一杯こさえて可愛いなんて思わないで欲しかった。

そばかすが私の造形を後押しするなんてことないから。

確かにその頃の肌に特徴らしき特徴がなくて不満だったかも知れない。けど今、その手の染みを隠し、アクセントを求めるなら自然な血色感を演出するチークを仕込み、そうして顔全体の印象を操作し仕上げようと頑張っている。

 

将来的にそんな悩み無くなるどころか、今の行動が将来的に悩みの種になる事を、

知らないのは仕方がない。それはもう致し方ないのだけれど、

今 私が どう思うかって、恨めしいわ。そりゃ。ハイチオールC飲んでも消えねえわ。

 

私は今、そんな過去の私が沢山積み上げてきた「日焼け止めも塗らないし化粧もしないし日傘も差さないしでやらかしてくれた結果」を前に、溜息吐きつつ化粧をするのだ。

仲良くなれない

私は「仲良くなりたいな」と思った人と仲良くなれなかった事がある。

と言うか、大体、なれない。

 

誰とでも分け隔てなく接する人気者の人格者は私ともその機会さえあれば朗らかに接してくれるだろうが、私が特別だなんて事は有り得ない。

私と積極的に仲良くなりたい人間が、

中々居ないし、居ても上手く歩み寄れないのだ。‥‥私が? うん、そう、多分私が。私の問題。

 

どうしてか皆いつの間にか友達が出来ていて、いつの間にか仲良くなっていて、いつの間にか距離が縮むのだ。

どうして?

どうやって?

 

私は幸いな事に「仲良くなりたいです」と言って頂けて、「わ!嬉しい!是非!」って会話をした事もあるけど、あるのに、一切何か起こる事はなく「見掛けたら会釈する顔見知り」に昇格して終わりだった。

その子は何と言うか、傍から見てても‥マブダチ?みたいな凄く仲の良い友人達が居て、とても眩しくて、でも「あぁ私はこの輪の中に入れる事は有り得ないんだな」って突き付けられるだけみたいだった。羨ましかったけど、絶対入れないんだなって良く分かった。私は絶対に部外者なんだな、って。

一切、直接の接点が増える事なんて無かった。情報も全く増えない。本当の本当に偶然出会す機会があれば挨拶すると思う、ただそれだけの‥ただの他人。

時間が過ぎる程にそんな偶然の産物もどんどん無くなる。最早一切無いだろう。二度と会う事無いと思う。多分。いやもしかしたら見掛ける機会が一度二度あるかも知れないけど、その時お互い会釈を交わすかすら怪しい。気付かないかも知れないし、気付いても挨拶する必要性を感じないだろう。少なくともそこでまさか仲良くなるなんて有り得ない。

その位の、他人。

 

他の人でも似たような事があった。

私は相手を一方的に存在だけ知っていて、しかしそれだけ‥の人。

だったが、これはきっと、私‥を指している、気がする、勘違いではなくて、私を覚えて私を向こうから知り始めている、と思う‥みたいなのが。

勘違い甚だしいパターンだと恥だ。下手な事は出来ない。

それはもしかしたら向こうも同じだったかも知れない。特別に接点のない、これと言った関係の全くない人。直接挨拶を交わしたこともない人。そんな相手にどう‥距離を構えるべきなのか。

その時もお互いに対して完全に部外者だった。

私は相変わらず友人が少なく、しかし向こうは随分と躍進目覚ましい御仁で、周囲に沢山人が居る様な‥人望も厚いちょっとしたカリスマ。

考えずとも当たり前で、そんなだから私は最初、何らの接点もないのに一方的に相手の存在を知る事になったのだから。

結果、何となく双方忌避する様に決着した。

 

そしてこれらはほんの一例で、私は大体、これは距離が縮まりそう!仲良くなれそう!って機会ですら驚く程綺麗に逃すのだ。

どうして、皆そんなに誰かと仲良くなれるの、何をしたの、何を持ってるの‥?

私は私にはっきり興味を持ってくれている人ですら仲良くなれない、何故か、大体誰かと知り合ってもせいぜい顔見知りから知人に昇格したら上出来だ。どうしたら他人と仲良くなるの‥?

 

あっという間に意気投合して何だか凄く楽しそうな皆を目にしては呆然とする、羨ましくてならない、何がそうしてるの?

距離が縮むって何なのか全く分からない。私はきっとずっとこんな感じで、「私と仲の良い人は居ない、そしてしかし他人は誰かととても仲が良いのだ」と言う寂しさを事ある毎に思い出しては寂しくて悲しくて泣くんだろう。

どうして、皆は仲良くなれる人同士で、私はいつでも部外者なんだろう、こんなにも‥って、ただ寂しくて泣くんだ。

友達が居ない。

好きな人には好かれないのだ。

それが悲しくて苦しくて、そうして私の、誰からも仲良くなりたいと思われない事に‥無価値である事に絶望する。

他の人とはとても仲が良いのに、私は友人になれない。知り合いになれたらこの上ない。そのどうしようもない距離。

 

私の人生はそんな、「私では駄目なのだ」と言う悲しみに満ちている。

どうして、もこうしてもない。ただ、私では駄目なのだ。私では。私は私だから。ただただ私だから、駄目なものは駄目なのだ。

私には何も出来ない。

治験サイト登録したけど使わなかった話

楽に稼げたらいいなぁ。

大多数の人間が一度は考えると思う。

私は何度も(実現させる気なんてないけど)思った。現実逃避みたいな。

不労所得に恵まれまくって遊んで暮らせたら凄くいいなぁ〜〜〜って、冗談だけで言ってるタイプ。宝籤当たらねえかなぁって買いもしないで言うタイプ。良く居る、言うだけ口だけの夢想家。

 

治験、って言葉を知っているだろうか。

新薬の実験台になったりする代わりに報酬が出たりするよ〜みたいな医療系アルバイトだ。

入院も伴う様なかなり美味しい案件だと高額報酬だったりするらしい。

有閑無職なら一考の価値あり、という奴。

楽に稼げるバイトらしいよって噂のアレの一つで、興味持った事ある人も少なくないのでは。

 

登録制の治験紹介サイトってものがある。仕組は求人サイトみたいなものだ。

私は数年前にある治験サイトに登録してみた事がある。完全に好奇心、出来心。

 

私は実家を出て上京して来ており、単身世帯。

まだ学生で、本格的な健康診断(人間ドックとか)は全く無縁、基本的に病院とは程遠い生活をしていた。

 

治験サイトに登録すると、ステータスを申告する事になる。

性別、年齢、身長、体重、血圧、コレステロール値、病歴なんかだ。

 

性別年齢身長体重は、わかる。まぁわかる。

病歴も特に大きなものはないので(季節性のインフルエンザくらいなので申告する様な持病にはならない)言う事ないし、食物アレルギーもない。服薬も日々常用するようなものはない。適宜風邪薬や頭痛薬に頼る事はあるがそれくらいだ。書く事がない。

そんな訳で、概ね「健康体を対象とした治験」向きの検体(この表現で正しいだろうか)であろう事になる。

 

ここで、血圧やコレステロール値の様な数値が不明なので困る。

勿論必須項目ではないのだが、計測しもしない項目が並び、これらの数値が基礎的な判断に概ね最低限必要だと考えられている事を察する。

 

サイトを通じ、交通費のみ自己負担、無料の健康診断が出来るらしい。

この基本項目が埋められる感じの簡単な検査。勿論日帰り、予約さえ取れれば拘束時間は少ない。

登録からかなり経ち、長期休暇中だったろうか、忘れた頃になって一度その検査は受けた。

結果は失くした。サイト側で勝手に記入されるのではなく自力で打込めみたいな感じだったんじゃないかな。どっちだったっけ忘れた。

 

その日の大した量も抜かない採血で、生まれて初めてぶっ倒れた事だけ覚えてる。私が吃驚した。

でかくもない普通の、割と見たことあるサイズの注射器二本弱抜いた。全身の血液全量からして誤差みたいなもんだと思った。献血なんて200cc400cc抜くんだぞ‥?

「大丈夫ですか」との問い掛けに「はい全然」と応えて、止血部分のガーゼを押さえながら立ち上がった直後平衡感覚を失って、そのまま立てなかった。

はっきり気持ち悪いと感じて、「え、そんな事ある‥?」と自分の状態が信じられず、ともかくも看護師さんに両側から支えて頂いて一床お借りした。そうするよりどうしようもない。

採血前に「ご気分悪くなる方もいらっしゃるんですが、その様な経験はお有りですか」と訊かれたとき、「200cc献血でも大丈夫だったので余裕です」と笑顔で答えたのにだ。

私だって、まさかこんな少量の採血でぶっ倒れると思ってない。けどそれが現実だった。あるんだなぁ本当に‥。

 

気分が良くなるまで暫く休んでその日は帰ったけど、それ以来採血の機会には少しの憂慮がある。意外と私も倒れたりするんだなぁって。

はっきりと「倒れた」のはそれが初めてで。

以後一度いきなり立っていられなくなった事はあるけれどそのくらい。多分熱中症的な奴だったな。脱水症状。

意識まで飛ぶ様な倒れ方する場合、どんな状態なんだろう‥。

私は倒れるまで動けない。大体、もっとずっと早く、ちょっと疲れた時点で滅茶苦茶に眠くて起きていられなくなる。強制スリープモード。

だから頑張って沢山動いて疲れを溜め込めて終う人達が寧ろ凄いなと思う、私は体力が労働や社会生活に追い付けないのがもっと問題だけど。

 

果てさて、結局必要項目カッスカスだけど健康診断は受けた。

あとは募集要項を眺めて、条件と日程が合致したら応募、通ったら実際の治験に参加するのだ。

 

わたしとて無限に暇な訳がない。

日程、合わせるの厳しいかもな〜。条件合うのかな〜。

概ねこの位は考えた。

そうして気が向いた時、気紛れに募集案件を眺めてみたのだ。

 

しかしこれがまあ、蓋を開けてみれば大変だったのである。

私に一致する条件の募集が全然掛かっていない。日程調整以前の問題だった。

 

どういうことかと言うと、端的に体重が足りない。

 

私の登録したサイトでは、特定の持病を持つ方を募集する案件も多かった。生活習慣病が関心の高い物であるらしく、高血圧、メタボ、Ⅱ型糖尿病、肝機能障害、心疾患‥と言ったテーマを多く扱っている。この時点で私は弾かれる。

又それに関連して、大体治験対象を男性に限るのだ。圧倒的に男性のみ集めている案件が占め、両性対象のもの、況して女性限定のものは少ない。これも厳しい。

加えて心身に不調の出てくる年代を狙っての案件も多い。四十代以上、とかだ。私は二十代である。

 

そうした中で、健康な二十代女性が参加可能なものを見付けると、その「健康」である事の指標として必ず指定されているものがある。

体重。

BMI20以上、18.5以上、18以上。

若しくは、体重50kg以上、45kg以上、女性は40kg以上、一律40kg以上。

以上の内どれかが記載されているのだ。必ず。

 

私は比較的身長が低く、且つBMI18を滅多なことがない限り割っている。40kgであれば超えている事もあるが、割っている事も少なくない。

そしてBMI指定の場合どんなに譲歩されていても18は要求される。

体重が指定される場合、40kgが指定される事自体が殆どない上に、更に私がそれを超している事も確実ではないのだ。

特別細い訳ではなく皮下に脂肪はそこそこ以上溜め込んでいるものの、筋量がとにかく足りない。従って微妙に軽いのである。

 

詰まる所、参加資格がない。この一言に尽きる。

 

従って、私はサイトに登録した所でちょっと健康診断を受けただけ。それから先は何も出来ないのだった。

全然美味い話だったりしないなあ、当たり前か、なんて思いつつ終わった。

私は例え無限に暇していたとしても無理なのだった。

 

もしこれを見て、BMI18や20、それなりにタッパがあって余裕の体重45kgや50kgお持ちの方、あなたには案件が開かれてるので検討してみては。私と違い無駄一辺倒に終わらなくて済むから。

逆に、治験って健康でなければならないと思ってた方。生活習慣病や肥満の方を対象としたものは特に多いし、意外とそんなことないので一度覗いてみてもいいかも知れない。

ただ、私には無縁のものだったのだ。

これはそんな思い出話。